今、料理界を吹く風は温かい。
爽快なそよ風が、料理に吹きかかる。テラス席に腰掛けていると、たびたび経験するタイプの風である。天気がよくて最高な夜に、突然、どこからともなく風が吹き、ギャルソンが、華麗な料理を運んでくる。セルフィーユがちりばめられ、遥か遠くの国から飛んできたようなパウダーが舞い落ちる。全部飛んでしまって、下着姿になった料理。スカーフも屏風もない、素っ裸。こういう状態の料理がいい。
現代の料理を描写すると、こんな表現になるだろう。きっとこの風は、北方から吹いているに違いない。シェフは、まだ計り知れないエゴをもっていないし、自分で料理を運んできて、帰る前には、レストラン周りの掃除だってする。
聖書的な素朴さ、込み入ったもの後に経験する贖罪、真っ白な書板。謙虚な料理には、貧しささえ感じてしまうが、どれほど高貴なことだろう。まるで、前世紀に食されていた、トスカーナ料理。皆さんは生まれていなかっただろうし、僕も生まれていなかったが、きっとこんな料理だったに違いない。インゲン豆、パン、オリーブオイル、カラフの赤ワイン。なんと温和な神!
とはいっても、今時の料理は、量が吝嗇だ。料理が皿の中に収まり、外にはみ出ない。少し前なら、山盛りにされた上に、温め直されていたのに、今では、しっかり栄養が行き届き、監視されて、耳を傾けてくれる人もいる。
ガストロノミーは、単音節になった。怖がらせたり、侵略することを恐れているかのように、ガストロノミーが擬声語で話をする。
シェフ、ベルトラン・グレボーは、アラン・パッサールの厨房で修行を積んだ。すごい省略法が彼の料理に見られる。それは、優しい短歌のようだ。その歌は、アスパラガス、オレンジ、リコッタ、そして子豚のほほ肉、庭野菜とスイバ、鱈、ほうれん草、魚の骨のシチューからなる。昔のレコードか、2分34秒続く曲を思わせる。すべてがここに表現され、曲は終わりを告げる。
個人的に、胃が歌を歌うような状態、つまりタンクみたいに満腹でない状態で、店を後にする方がいい。自分の番がきたら歌を口ずさみ、孔雀みたいに羽を広げて、テンポ良く跳ね上がるような状態で。
レストラン「セプティム」は、そんなエスプリだった。素朴で分厚い木、頑丈なテーブル、シックなカントリー調は、三日ヒゲを思わせる雰囲気だ。すごく温和なサービスは、最近のレストランでよく勉強されている流行ともいえるだろう。だから、そうじゃないパリ的なサービスは、古くさくて年代物の匂いがする。もうすぐ革命が起こって、乱雑さと憂鬱な時間に、客が文句をつけ始めるだろう。そうなれば、世界はきっと、もっと良くなるに違いない。
すごいランチメニューが24ユーロ。東のパリのいい明かり。
Septime
80, rue de Charonne - 75011 Paris
Tel : 01 43 67 38 29
Photos / F.Simon
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