フランス、ミオネーの、アラン・シャペルのレストランへ向かうことさえ、少々デリケートな行為かもしれない。
ご存知の通り、彼自身は20年以上前にこの世を去っている。
当のシェフが厨房にいないレストランは、今日における真剣な問題だ。
ボキューズ、デュカス、ロブション、etc… これらのレストランでは、そのシェフ自身が厨房にたっているような幻想を抱かせてはいるが、実際は違う。そんな一方で、当のシェフがこの世にいないとなると、又別の問題が上がってくる。
料理は、生きたシェフによって創造される、生きたアートだ。
レストランに着いたときから、居心地の悪い思いをしていた。
アラン・シャペルは、フランス料理界において、かなり偉大な料理人の一人で、それは、あらゆる人から認められた事実だ。
かなり平凡な若芽の野菜のサラダが運ばれてきた時に、その疑惑がはっきりした。
鯛のロティー、エビのタイム風味など、無味な料理が続き、デザートとなると(イチゴのガレット、ミルクジャムのアイスクリーム添え)、アラン・シャペルの思い出が屈辱されてしまうほどだった。
ここの食事は、詐欺師にもちかい。
思い出は、時には沈黙を必要とする。
それが、尊重の最も高潔な行為だろう。
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