スペクタクル付きのレストラン。
そのジャンルのレストランは、今では珍しいものになってしまった。
言ってしまえば、どのレストランも、シェフのエゴに支配され、自分自身が「スペクタクル」になりたい野望のシェフであふれてしまったのだ。
要するに、4—5件のめざましいレストランを別にすれば、このジャンルに合流するレストランは数少ない。これは、スペクタクル自体の失敗やキャスティングを予知できたはずの、浅はかな時代の流れのせいもある。
そんな訳で、以前のホテル・ニッコー、今のノボテルにある、「弁慶」みたいなレストランを見つけたら、急いで足を運ぶしかない。
どうしてここ?
ここでは20年以来、頭の切れるシェフが、数年後に「発明」されるものを、念入りに仕込んでいる。
僕らの目の前に立つシェフが、新鮮な食材を機嫌良く料理してくれるのは、ウソみたいな話だけれど本当の話。
仰天して息をつまらせてもおかしくないスペクタクルだ。
でもよく考えてみたら、実は、アフリカ、アジア、南アメリカの市場でも、同じような風景をよく目にしている。
道ばたの石に腰を下ろしたら、目の前で新米コックが、スープや肉や魚をごちそうしてくれる、ご存知の通り、これこそが「ストリートフード」。
今、そのブームがどんどん押し寄せてきていて、こっちでは、冗談抜きのプロ中のプロがそれを再現するはずだ。
テッパンヤキ
日本語で「熱いプレート」。
妙なことに、ここでは満足げなシェフを前に、食事が進む。
シェフのその微笑みは、間違いなく、客の僕らが満足しているのを察知してのことだろう。
巧みに小道具を操うシェフは、無駄のない動きと、うってつけの道具、ピカピカの鉄板に、自尊心を隠せないようだ。
本物で華やかな料理が運ばれ、食後の消化もその一連に沿ったものだった。
富士山
今回は、ゲームボーイや磁器化されたおもちゃのせいで、冷淡な亀や冷たくなった鱈みたいにすれきった瞳になってしまった、2匹のひよこを連れて行った。
いまどきの子供達がそうであるように、何にも関心を示さず、蜘蛛みたいに冷静で、仮面をかぶったように無表情な彼らは、コンテンポラリーな昏睡のなかで、とぼとぼとついてきた。
しかし、もやしが鉄板上に放り込まれたとき、修正液をかぶったトカゲが泳いでいるのを目にしているかのように、彼らは真っ正面から衝撃を受けたようだった。その小さな頭の中では、電気椅子が作動して、原子爆弾が飛び交い、過激な「わぁー」が連発されていたことだろう。
熱くなったダンスピストのうえに、冷たいアイスクリームが置かれた時のショックに加え、がらくた屋で買ったにせものの花束みたいな、淡白な花束を皿の上に見た時、このチビ2人は心臓マヒを起こしそうになったに違いない。
シェフが、無害そうな液体を毅然とそそぐと、たちまち厚い雲がテーブルを襲いかかってきた。
効果は意外に莫大で、「きゃー」や「おぉぉ」、また「わぉぉぉぉ」が小さな口からほとばしり、その煙はカウンターに押し入ったかと思うと、しみをつけることなく、僕らのズボンのあたりで消えていった。
まさしく、日本でいう「もののあわれ」という精神のなかに、僕らはいた。
つまり「あっ」と言わせて、一瞬信じこませてしまう感覚。
この、実に稀な子供たちのリアクションに立ち合う機会を得て、帰り際には、やっとそれらしい見返りを被ることが出来たんだと快感した。
この感覚は、パリのリヨン駅にあるトラン・ブルーへ彼らを連れて行ったときと同じ類いのものだ。
そこで小便するのが習慣だったダリ、プライベートコンサートを開いたエディ・ミシェル、ニキータでアンヌ・パリローを吹き飛ばしそうになったリュック・ベッソン等の話を、熱く語ってはみたものの、彼らにとっては耳障りなだけだった。
「違う違う。ここはミスター・ビーンのレストラン!」と叫び返される瞬間は訪れる。
「ミスター・ビーンのバカンス」の中で、どもりがちのスターは、ジャン・ロッシュホールが運んできた、ラングスティンを平らげていた。
行くべき?
ウィウィ!
パリと富士山を一望しながら頂く、50ユーロのコースがおすすめ。かなりご立派。
Benkay
61, quai de Grenelle – 75015 Paris
T. 01 40 58 21 26
無休
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