レストラン業界は意地悪だ。
フランス人グランシェフの中でも屈指の、ジャック・マキシマン(60)が彼のレストランを閉店するにあたり、その衝撃的なニュースに反応する者は少なかった。
もっとも、この輝かしい才能をもつ男が、メディアのカメラやマイクを押しのけて、パラドックスな世界へ雷を落とす姿は想像できた。
しかし、フランス人シェフの中で、彼こそがあらゆる面において一番盗まれっぱなしのシェフだろう。
たとえ、それがレストラン経営の不手際が原因であるとしても、今日彼には、わらくずしか残っていない。
彼は、1970年代には、ムージャンのロジェ・ベルジェのもとで修行を積み、ラ・ボンヌ・オーベルジュのジョー・ロスタンを経て、ネグレスコでは、成功の蜜を味わった。
このナイーブな北の男は、ニース地方に惚れ込み、その巧みな技で、地域に合ったサービスを提供し、客の快感に貢献してきた。2人として存在しないこのクリエイターは、ズッキーニの花のファルシみたいに、シンプルさを忘れていないのに、ひどく鞭でぶたれたような料理をつくり、観衆を圧倒してきたのだ。
その一方、このばくち打ちは、「チュルボー・ポシェ(ひらめのポシェ)より、チュルボー(ターボ)がついたポルシェのほうがいい」、「いいあんこうのカマンベールソースより、うまい鶏のロティーのほうがいい」、「厨房には、料理人が2タイプいる。動くタイプとそれに後から付いてくるタイプだ」等、 周囲をあっと喜ばせる、辛口な口調が有名だった。
今日、ジャック・マキシマンは、コンサルタントシェフとして、アラン・デュカスグループ、そしてホテルチェーンのアコーグループと、契約を交わした。モンテカルロのノボテルとエッフェル塔のノボテルを始め、もうすぐ、彼のレシピをもとに作った料理があちらこちらで頂けるはずだ。その他のレストランでは、基本的な料理メニューの改新を担当予定。
マキシマンの魂は、まだまだくたばるには早すぎる。
なぜなら、すでに銀河ほどの弟子たちが、今もマキシマン製のソースを作り続けているからだ。
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