判決は、昨日下された。フランス料理が、ユネスコの無形世界遺産に仲間入りしたのだ。フィガロ紙掲載の記事を、ここでもご紹介。もう少し僕なりの意見も付け加えたかったのだが、今回はこのくらいにしておこう。
フランスのガストロノミーが、とんでもないことになった。確かにそれは、すばらしくて、他に類似するものがない。僕らを陽気にしてくれたり、涙を誘ったり、四つん這いにさせたりする代物である。しかし、フランス料理が世界で一番いい料理である、と言い放つとは、なんと厚かましいことか。あまりにも突飛すぎて「そうかもしれないな」と、疑惑さえ抱かせてしまう。確かに、目の奥に狂気じみた光線を持つ料理人達は、すごい技術者がほとんどで、とんでもないクリエイターであったりもする。
しかし、フランスのガストロノミーは、道で独り言をつぶやいているような、驚くべき老婆にも例えられる。情熱的ではあるが、実は悲壮的。特に世界中が料理に対して敏感になってきているこの時代には。ニューヨーク、東京、大阪、シドニー、コペンハーゲン等、そこら中の都市が、優れた才能を頭角しているのだ。
一生を通して、地球は快楽を求め、うまいものを口にするノウハウを培う。サンパオロ、アレッポ、イスタンブール、世界中のどこにいても、うまいものにありつけ、その歴史は1000年以上もさかのぼることさえある。
また、その誕生に、大地が轟くのを感じることがある。起源がかりかりと音を立て、人類がぐらつき始める。世界は複数形になり、その味わいは心底素晴らしいものとなる。各地で風習が、技法が、叫びが、グルメなささやきがほとばしる。何千もの特製物が創造され、そこら中で個性が生まれるわけだ。
フランス料理は、箱の中に収まっていないで、外部の料理と共立することを、学ばなければならない。そうはいっても、ジャン・ギャバン的な、味わい深くてどうしようもないフランスがあるのも事実である。そこに、フランス人と、その根性の悪さ、ひねくれた性格、自負心、短気さ、辛口な皮肉気質がある。
いつか、フランス人の性格、というものも、人間性の世界遺産として、登録を希望してみるのもいいかもしれない。ただ、もう少し無形物であってほしいだけのことなのだが。
Photo/F.Simon
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