異国籍料理 。
パリジャンは、その量の少なさに、よく文句をたらしていた。それはまるで、豪華なリムジンカーを目の前に、手袋ケースしか褒めないようなもの。まったくわかっちゃいなかった。今ではもう話のネタにもならない。この魅力的な首都には、関節の自由がきかなくなった、頑固な保守的人間が溢れている。
が、幸いにも、そんなことで、僕らが異国籍料理を愛し続ける妨げにはならない。
日本料理は、すしだけじゃない。
すしは、アルファベットでいうと「A」の段階。もっと謎に包まれていたり、絹のように滑らかだったり、時には感動してしまうほどのアルファベットを持つ料理がある。
たとえば、麺。日本料理レストランの代表格、サンブノワ通りにある「円」を訪ねた。
興味深いことに、この通りは、昼間には人が溢れかえっているのに、夜は人気が少ない。そんな通りに、明るい木目模様に近代化された、隠れ家のようなファッサードを持つのがこのレストラン。
以前、そのすぐ裏通りにすんでいる、友人を連れて行ったことがある。
僕らは、オペラ座のレストラン、カフェ・ド・ラ・ペの、帆立貝と、ミネラルウォーターと、砂糖なしのエスプレッソをともにする仲間だった。単に小腹がすいているから、慣れているから、思い通りのものがでてくるから、という理由で、それとなく決まってしまった、彼との定番コース。そんな決まりきったルーチンから、ちょっと道をはずそうと、試みてのことだった。
そして、彼は一発でこのレストランの虜になった。武装していない彼の姿を見るのは、気持ちよかった。彼は、食欲という欲望のまわりに、小さな映画の透明なセロファンの幕が存在するのを、発見してしまった様子だった。そのセロファンを取り払ってしまうことで、人生は、もっとはっきりと透き通って見え、もっと食欲がわいてくるものとなった。
彼は、食事の最後に、ショップカードをひとつまみもって帰った。
どんぶり茶碗/さて、日本のどんぶり茶碗のふちを観察してみたことがあるだろうか。その曲線は、全く一定ではない。ほら、こんな小さな発見が教えてくれること。人が人生の伴侶とする人や物には、完璧なものなんて存在しない。水面にできる水輪を除いたら、自然のなかに、幾何学的なパーフェトはありえない。どんぶり茶碗は、指と、手のひらと、ろくろがつくる偶然の産物だ。日本料理も、そんな理論からなっている。
今夜は、帆立貝と黒ごまのそばを注文した。邪魔にならない程度にスモークがきいている。そば自身が、もう少し個性的でも良かったが、口の中では、職人の手で作られたものであることがよくわかる。もっとそば粉がしっかり使われていたら、言うことなしだった。
食べ方/始めは、かなりショックを受けるかもしれない。でも、その後には、笑みがこぼれるはず。伯爵をひっくり返すような、<ずるずる>という濁音。そばを食べる上での必須事項だ。なぜだろう?日本人は、しつけがなっていない?もしそう理解したいなら、お好きにどうぞ。でも実際には、彼らは、麺を尊重するように育てられている。だから、歯で麺を噛み切らない。それは、麺を食べる上で、道徳に反しているからだ。麺をずるずるとすすって食べるのは、食欲とエネルギーが一体となっている証拠。
謙虚ないいい香りが食欲を誘って、実にうまい。日本料理が、違う角度で見えてくるはずだ。味がはっきりとして、奇抜なある種の料理とはまるで異なる、デリケートな料理。何かがとけ込んでいて、違う世界のものを感じる料理。多くの人の支持を得て、おかしくない料理だ。
デザート/ここのデザートは、サダハル・アオキ製。チョコレートとマロングラッセのデザートはかなり重いが、イチゴケーキは、抹茶のロールケーキ同様、恍惚モノだ。
客層/リラックス
サービス/自然に親切
行くべき?/OUI
値段/2人で 83,50 ユーロ。カロリーを気にせずに食べれて、軽くて繊細なディナー。
YEN
22, rue Saint-Benoît - 75006 Paris
Tel 01 45 44 11 18
日曜休
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