ここ最近、多くのシェフや職人たちが、身を潜めていた。
一本の電話が彼らの身を震わせる。
ガイドブックの編集者からかかる、新刊での評価結果報告の電話だ。
手作りのシャルキュティエ、グランホテルやグランパラスのソムリエやサービスディレクターが、ガレット作りが王様だったり、ブッシュ作りがベートーベン並みということで、ある日突然晴れ舞台に上がる時、避けては通れない関門がある。
それは、自分の成功を祝うための大きなセレモニーを、自分自身で準備しなければならない関門とも言える。
ただ問題は、400人もの招待客を丁寧に出迎えなければならない、つまり、400人全員の食事を用意し、400人全員ののどの渇きをいやさなければならないという使命を差している。
この風変わりな習慣は、実際ゆっくりと姿を消していっている。
ガストロノミーのガイドブックの先行きは暗い。
間違いなく、その内の何冊かは、磨き粉を使いすぎたためであろう。
文学はすべて、評価を得ようと行った努力のせいで、その評価を落としていった。
その犠牲となったものには、2タイプある。
まずはシェフ。
20点満点を獲得した途端、滑稽で不条理な天国のなかで手足を操られ、睡眠薬的な形容語の波に浮かび、挙げ句の果てには手に負えない売れっ子になって、スターレットのわがままで自分のボスにまで文句をつけ始める。
それから、読者。
突然、現実を目の当たりにした時には、ためらいを隠しきれない。
「驚異的な」才能を好評価できるだろうと思って、白トリュフの香りがする赤ビーツのソルベの「絶妙なポエジー」を前にしたら、自分は評価能力がなく、陰気な体質なのかと、頭を抱えてしまう。
そんなわけで、そっと前触れなしに、美食家の兵士がもっと寛大な天空へ場所を移した。
これからは、ブログ上に乗り出して、例の「手頃でうまい店」カテゴリーにその役割を託そう。
Simon-Says ! メインページの右下の方に並ぶ予定だ。
不合法で無宗教のフランスは、聖書や神聖なる秘跡の世界を拒否し始めた。
もっとよく切れ、もっと努力の功績が見え、もっと先見の目を備えているものを求めている。豪華な装飾やうぬぼれでふくれあがった店は、もう信用できない。
食道楽の連中は、嬉しいことに、地に足をつけなおしたようだ。
またひとつ、新しい意見を発見するきっかけが出来たという訳だ。
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