もう数年前の話になるが、東京でシェフパティシエールとして活躍している、日本人の友人、ミホとの、夕食の席での出来事だった。まだ若いシェフ、ケイ・コバヤシと出会った。
彼は、ジル・グージョン Gilles Goujon やミシェル・ウセール Michel Husser、そしてプラザアテネ時代の、ジャン=フランソワ・ピエージュ Jean-François Piège のような、名高いレストランの厨房を経験していた。そしてその夜、アラン・デュカスのレストランで、クリストフ・モレ Christophe Moret のセカンドシェフとして、驚異的な料理を用意してくれた。彼の誇り高いながらも謙虚で、しかも厳密的でもある経歴に僕は感心し、一発で心が打ち解けたものだ。
この7年間、彼はとんとん拍子にポストを変え、日本料理が、フランス料理の中へゆっくり浸透していく様子を、じっくりと観察してきた。
彼は、こう語る。
「日本人が持ち合わせるものは、きっと、料理に表れる軽快さ、繊細さ、そしてデリケートさだと思います。厨房で僕は、たいてい魚係りに適用されますが、それは、日本人が長い時間をかけて、魚のさばき方や切り分け方、身の流れに沿って魚をどう扱うか、ということを、学んでいるからです。その上僕らは、魚をあまりいじらずに、加熱する技術も持っています。」
時々、僕らは電話し合い、彼は自問や悩みを打ち明けるのだが、自分のレストランを開く、という夢だけは、相変わらず持っているようだ。たしか2年前、リスクの高い企業と契約する話があった時、その意図に乗らないよう、僕は必死になって彼を説得した。僕のアドバイスが、どれだけ耳に届いているのかは、分からない。どっちにしろ大切なのは、個性を発揮できる場所へ、彼がうまくいざなわれることである。
少し前に、彼はプラザアテネを辞職した。正直言って、かなり思い切った行動である。その後、フランス語のレッスンを受け直し、モンテカルロのルイキャンズの厨房で、インターンを終えた。
そして先日、テイスティングディナーをするから、との招待状を受け取った。正直な話、「ぶりっこな女の子料理」を頂くのは、好きではない。このような類いの招待状には、普段は絶対にのらない、と誓ってでも言える。お分かりのように、僕の居場所はどこにもないのだ。しかし、僕はケイのために、友人カップルを誘って、その招待に預かることにした。
その夜、滑稽な話にも、僕らは3人並んで、学校長みたいにテーブル席へついた。
ケイは、脱色したひよこ色の髪と、ファンキーないい顔つきで、僕らを待っていた。僕の友人と彼の妻を前に、彼は完璧なデモンストレーションを披露した。イチゴとトマトの料理は、確実に一歩はずれていたが、その他の料理は素晴らしかった。
現在ケイは、レストランと投資者を探している。なんとか手助けをしてやりたい、と思うのだが、僕の自然体で野蛮で孤独主義的な気質から、その分野の知り合いは数少ない。ともかく、くじけずに戦い続けるよう、僕は彼を心から支援している。もし彼がこの記事を読むことがあったら、もはや彼は独りぼっちじゃない、ということだけでも分かってくれるだろう。今は、じっと待つのみだ。こののブログでも、たびたび彼のニュースを紹介しようと思う。
がんばれ、ケイ!
Photos/F.Simon
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