どうして日本まで来ていながら、フランス料理ばかり食べているのかと、不思議に思われるかもしれない。
その訳はこうだ。
「カーサ・ブルータス」誌が、日本の欧州料理レストランを16件、試食してまわるよう依頼してきた。
そんな成り行きで、毎日各々の著名なレストランを食べ回っている。悪くはない冒険だ。
時には、興味深く、時には又一つ、勉強にもなる。
ここで、このブログの閲覧者へ約束。
一ヶ月後に、又日本へ来る予定なので、そのときに、僕自身がお気に入りのレストランを、数件紹介するつもりだ。
今日は、ポール・ボキューズのビストロへ。
順番待ちに、2時間もかけたミホへ、まずはお礼から。
新しくできた国立美術館にとって、コンテンポラリーな空間へ活気を与えるために選んだシェフが、82歳のポール・ボキューズというのは、かなりのパラドックスを感じる。
彼の料理は、流行りのものではないだけではなく、ノスタルジーさえ感じ、そのエキゾティズムには年季が入っている。ボキューズの料理は、たしかにどこか美術館に適した側面を持つが、それは1960年代からの歴史を感じるからだろう。
2500円の食事は、たしかに悪くはない。
しかし、もしこの料理が、ポール・ボキューズブランドではなく、彼らしい、味わい深くてセンチメンタルな料理ではなく、ただのビストロ飯だったとしたら、とくに感動させられるものはないだろう。
ベートーベンが、テレビで天気予報の司会をしている方が、よっぽど存在感がある。
ナプキンを始め、レストラン中にプリントされている、「ポール・ボキューズ」マークは別にして、例えば「市場のサラダ、パルメザン添え」に、ボキューズは、どれくらいの比率を占めているだろうか。
サラダには、良識通り、風味深い四国産トマトが、メインに使われていた。岩手産の鶏は、たいした風味を感じなかったが、グリエしたアーモンドスライス(これはリヨンの地方料理ではないはずだが)と、少しのリヨン風グラタンが、その穴埋め役を果たしている。
「ポール・ボキューズ特製」クリーム・ブリュレにかけては、ポール・ボキューズがつくるデザートではないことを願う。レリーフ、濃度に欠けていて、クリーム自体と、温かい部分から冷たい部分へうつる部分、つまり全体量がかなり少ないために、キャラメリゼされた部分が、皿の底についてしまっているほどだった。
結局、すばらしい空間の中で頂いた料理は、期待するほどのものではなかった。
人が少なくて、待ち時間もない、別の場所へ食べにいくほうが、もっと深い喜びが味わえるだろうと思う。