悲嘆に包まれた石巻市の体育館で、一種の温和な離島を目にした。顔一杯の笑みに放心した表情が印象深い。優しくも困惑したカオスような。まだ体力が残っているなら、光のある方へ向かって進まなければならないことを実感する。写真撮影と取材応対の為に、一時手を休めた写真のボランティアの人達は、皆、一歩一歩前進している。
彼も、その一人だ。ここ以外で、自分が役に立てるところはない、と確信していた。
Photos / François Simon
悲嘆に包まれた石巻市の体育館で、一種の温和な離島を目にした。顔一杯の笑みに放心した表情が印象深い。優しくも困惑したカオスような。まだ体力が残っているなら、光のある方へ向かって進まなければならないことを実感する。写真撮影と取材応対の為に、一時手を休めた写真のボランティアの人達は、皆、一歩一歩前進している。
彼も、その一人だ。ここ以外で、自分が役に立てるところはない、と確信していた。
Photos / François Simon
最悪な状況下で、僕の目は美なるものに引かれていった。まるで贖罪をするかのように。
不幸のどん底から抜け出して、昇華していく。静寂になった大災害。この想像を絶する状況下で、今回、超越した人達を、しばしば見かけた。まるで、自然へ仕返しをしているかのような。
今回、僕が写真を撮って回ったのは、悲劇的な状況下にも、ボランティアの人たちがどんなに輝いているかをお見せしたかったからだ。いい笑顔はもちろん、最悪なコンディションの中で、精一杯の事をしたいという思い溢れる方々の表情を写した。写真を撮らせてもらえないかと、一回一回尋ねてまわったことに、後悔はない。がれきの中で見つけた笑顔を少しお見せしよう。
下の写真の女性は、春一番の厳しい風をあおりながら、お年寄りを肩にかかえて移動させては、看護していたが、マスクを下げていた僕を、怒鳴りつけることも忘れなかった。
まさに、本物のコミュニティが生まれる瞬間。
Photos / François Simon
今日の午後も、この界隈は、恐ろしいほど激しく揺れた。仙台に出張で来ている人たちは、帰路を求めて、来た新幹線へ飛び乗る。いつもなら、こうも早急に、人は動かない。
たとえば、駅前にある、シュウヘイのレストラン。
小さな店内は閑散としていた。ずいぶん隠れた場所にあったが、花柄の小さな女の子がサービスにいるという。
「絶対に見逃さないよ。花の服をきているから!」
この夜、僕らは、カウンターに腰掛けて、気軽な夕食をとった。シェフが、自慢げに語った話は、5月に野球の試合があるのだが、練習ができていないという。
ソースの入ったビンが落ちて、床に拡散した。
それを別にしたら、魚がないのはさみしいが、ノルウェー産の魚が、笛を使って調理された。すごい。
明日は、石巻市へ向かう。すべてが津波にさらわれた、海水浴場だ。
揺れは今でも続いている。こんなに長期間続く揺れに、うんざりしてきだした。
Photo / François Simon
今朝、ダヴィッド・ラッテスからメールが届いた。日本支援の為に開催する、トリュフディナーの日程を変更するらしい。
「皆様
日本支援のために、皆様から心強いエールをいただいていることに、大変感謝しています。このたび、4月5日に予定していましたディナーの日時を、4月12日に延期させて頂くことになりました。やむ終えない日時変更ですが、引き続きご参加いただけることを、お待ちしております。
4月12日火曜日、午後8時半開始のディナーでは、各種トリュフ(夏トリュフのAestivum、Brumale、黒トリュフのMélanosporum、そしてイタリアトリュフのBorchii)のテイスティングはもちろん、30分ほど、トリュフの特質、歴史、調理法についての解説も設定。ご試食の形態は、トリュフをそのままの状態で、またパンに添えて、そして野菜、海産物、肉類などと料理されたものも2皿、ご用意しています。今回は、日本支援ディナーということで、神戸牛等、日本の伝統食材とのマリアージュも考慮すると共に、私の友人で Oenotropue 代表 Jess が、いいワインを数本提供してくれる、ということで、トリュフ料理とワインのマリアージュも考えています。
参加費として、一名様でご参加の場合は130ユーロ、二名様でご参加の場合は、210ユーロをお願いしていますが、この費用は全額、日本赤十字に寄付されます。
このディナーでは、おいしいものを食べながら、心地良い時間をすごしていただくのが第一の目的ですが、少しのうんちくも添えたい、と思っています。
このメッセージが、より多くの人のもとへ届きますことを祈りつつ、お友達、身内の方々等、多く方のディナー参加を、心よりお待ちしています。
予約は、[email protected] まで。
開催場所は、予約人数によりますので、4月8日水曜日をもって決定する予定です。定員60名。」
Photo/François Simon (パリのシャングリラホテルで、フィリップ・ラベシェフ作、アンディーヴとトリュフの一皿。最高)
バスティーユ広場のそばにある、日本料理レストラン「イチョウ」へ、昼食がてら、味見に出かけた。
この店に関して、僕が面食らったことが2つある。
まず1つ目。店に入った所で、男が電話で話しているのはいいのだが、彼の明確な口調とそのボリュームのせいで、話の内容が全部こちらの耳に入ってきた。そればかりか、電話相手の、レアという女の声まで丸聞こえだった。
この点は、あまりよく試行錯誤されていないのだろう。客である僕らの会話には、ブレーキがかかり、完全に宙ぶらりんになってしまった。
問題のレアは、文句ばかりを並べる気質な上に、ご機嫌斜めな様子だったが、僕には、くじけずに再挑戦するサマリア人のようにも映った。その挙げ句、彼らの会話は、迷惑などころか面白いとさえ思ってしまった。
次に、熱狂に満ちたシェフがいた。生々しくて、活気があって、ちょっと心配性のエネルギーが溢れるシェフ。古風な温和調を好む僕にしても、この店は笑えた。生き生きとした料理は、少し神経質な熱烈さが、はみ出していたかもしれない。それはうまかったが、サーモンといちごの組み合わせなど、リスクの高いものもあった。
こちらを動揺させるような、両極性の中で、僕好みのまたとない時間が過ごせた。
また、おかしなことに、同じ週末に、僕は2度もこの男を見かけた。1度目がサンミシェル大通りにあるモノプリにて、そして翌日にはグラン・オーギュスタン通りにて。偶然ほど、心の踊る出来事はない。
Icho
3, rue des Tournelles - 75004 Paris
Tel : 01 44 78 03 92
Map
Photos/F.Simon
投稿情報: 23:08 カテゴリー: ジャポン, パリ4区のレストラン, 日本料理 | 個別ページ | コメント (0)
少し予感はしていた。僕らの友人、ケイ・コバヤシが、ジェラール・ブッソン Gérard Busson との数回に渡る交渉の後、ようやく契約書にサインを交わしたらしい。
ということで、ケイは、ジェラールの店を後継し、デュ・コック・エロン rue du Coq Héron 通りで2月半ばに自分のレストランを持つ。言うまでもないことだが、彼はかなりの興奮状態である。
「もう25回も見学に行きましたが、すごくいいレストランですね。厨房は完璧だし、ジェラール・ブッソン自氏身、偉大な料理人で、レストランを自分の息子のようにかわいがっていますからね。」
ジャラール・ブッソンの方はというと、彼も有望なジュニアへの引き継ぎに満足しているようだ。「9月の時点では、店を売るつもりは全くなかったんだが、この情熱的なカップルに出会って、感激してしまったよ。」
本来なら、ケイは少しの内装工事を済ませた後、2月末には店をオープンさせる予定だ。
レストランの名前は「ケイ」。ナイスアイデア。
その間にも、ここで彼の進行状況を報告する予定だから、心配はご無用である。
Photo/F.Simon
僕らの友人で、ここ数ヶ月、僕がその行動を追っている日本人料理人のケイは、ここ最近、すこし足踏みをし始めた。独自の店を開くために、店舗を探していたものの、なかなかうまくいかない。結局、レストラン「ノマ」への旅行は断念し、手続きに必要な書類収集に、専念することにした。
ケイは、あらゆることが問題になってしまう、我が国の素晴らしき遅速さを、存分に味わっているところだ。日本の銀行は、資金を送金できると言っている反面、パリの銀行は業務上での送金は受け付けない、というありさま。彼の積もるストレスは明解だが、少しずつでも前進しているのも明らかだ。あちらこちらで救いの手も授かっているのだろうが、全部は口に出さない。それも悪くはない。その時がきたら、僕も一歩下がって、彼のスタートを遠くから見守らなければならないからね。
とにかく、「ケイ」と命名される予定のレストランのオープンは、常に来年の2月と設定されている。
ケイのフランス語は見る見るうちに上達し、人ごみに埋もれて働く料理人用語だった彼の語彙が、少しずつあか抜けてき始めた。
Photo/F.Simon
僕らの友人、ケイ・コバヤシは今もなお、かなり険しい道を通過している。
パリは、思ったほど優しくはない。特に、ことが外国人となると。よくありがちな話だが、8区に何かいい物件はないか、と尋ねるたびに、門前払いされる。パリでは珍しくない、ひどいあしらいと軽視の態度。確かに、8区は難しい地区ではあるが。
サンジェルマン市場のごく小さなレストランでさえ、その価格は僕の耳を聴覚障害にさせてしまうくらいだ。
その間、フランス語レッスンに通うケイのフランス語はぐっと成長し、スタージュも継続している。コペンハーグの「ノマ」、モンテカルロに「ルイキャンズ」、そして次回は京都の「瓢亭」。また、スイス、クリシエのレストラン、フィリップ・ロシェのような名高いレストラン等も食べ歩く。
そんな状況下でも、ケイはモラルをしっかりもち、2011年の1月には店を開きたい、と言い放つ。彼の貯金は、底が見えだした。もし、誰か興味のある方をおしりなら、是非連絡をいただきたい。
Photo/F.Simon