レストランで最高のもてなしを受けるための50のレッスン
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パリの文学者や政治家の会合の場所。 1850年代は色っぽく女好きで、数年前までは本物のガストロノミーレストランだった。 さて現在は?
ビデオはここから Restaurant Lapérouse
Restaurant Lapérouse 51, quai des Grands Augustins - 75006 Paris T.+33 (0)1 43 26 68 04 F.+33 (0)1 43 26 99 39 E. [email protected]
おかしなことに、この紀行ガイドブック出版時、その世界の人間から非難の声が耐えなかった。 アラン・デュカス贔屓がその原因だった。 たしかに。 彼のレストランでは会計がよくただだったらしい。 倫理にすこし傷が入っていた。 しかしその一方でこのガイドは、おもしろいくらいうまく構成され、魅力があって、機敏で、方々でのリスクに立ち向かっている。 開拓という名の本当の仕事と、このガイドブックから誕生した現在のスター(ラバネルは2年前に、既に登場)たち。 果汁に富み、影響力をもって、著者陣が200ものさまざまなレストランをしっかり選んでいる。 2008年の超クリエーターは、モアラックスのベンジャマン・トールセルらしい。
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レストランは、始まりが肝心だ。 カウンターはフレッシュで、鏡は我慢できないくらいピカピカで、期待が本日の一皿の曲線のなかで膨らむ。それは、スペクタクルの開幕が間近に迫った時に起こる、静寂や轟の声に似ている。 厨房では、心配性が混ざったアドレナリンのせいで、突飛な額の借金やかなり重いリスクのことさえ忘れてしまっていることだろう。 うまくいくかいかないか? 誰一人としてその答えをもっている者はいない。 電話が鳴り、知り合いや客がやってくる。さぁ始まり始まり。 この手のアバンチュールは、間違いなく後戻り出来ない。 壁に突き当たって砕け散るか、大空を楽しむかだ。 今日、15世紀末のデヌエット通りで、バスク地方料理のインスピレーションを受けたレストラン、アファリアにやってきた。
前菜/フランスではよく、三角に切ったパンドミの上にランプフィッシュの卵をのせたら、タパスだと思い込まれる場合が多い。これは、ちょっと早とちりで要領が悪く、ひどくグルメな、異世界の話であることを知っておくべきだ。 タパスは、食材が生気と快活さの中を走る、一口サイズの食べ物だ。唐辛子のきいたイカ、エビのポワレ、しゃきしゃきの野菜。食材が自らすすんで口に入ってくるような、活発な動きのある一品。
ガスコーニュ産豚の背肉のコンフィ、野菜のココット添え。 自分で皿に盛るか、相方に皿に盛ってもらうか。二人前が一皿になったこの手の料理には、常にいきいきとした喜びを感じる。背肉がとろけ、縛られない魅力的なこの一品は、現在、親しみ深い料理を代表する新しい一皿となった「野菜のココット」、つまり秋の喜びとともにサービスされる。鮮度が高く、胃に優しく、ややこしくないこの料理は、母性の香りが漂う栄養高い一品だ。
デザート/すこしぐにゃぐにゃしていたが、感じの良いりんごのパイ。
客層/15区特有の無気力な雰囲気の中で、その夜は、サポーターやテーブルについた友人たち、サービスがすすむにつれて声高になるあちらこちらのカップル、そしてぶんぶんうなる合意の叫びが行き交っていた。
サービス/オーナーが厨房から電波をおくっている様子がこっちにまで伝わってくる。それには共感できるし、感動さえしてしまう。結局、これこそレストランに必須な要素。感情。
うまい?/誠実な、本物の料理。昼は14時になるのを待ちわびず、いいセンスが感じられ、アクセントのきいた勇敢な和は、解放されて機嫌のいい雰囲気の中にぴったりだ。
価格/19ユーロから選べるコースメニュー。夜はアラカルトのコースで22ユーロ。新学期に出会った、いいレストラン。
行くべき?/OUI !
AFARIA 15, rue Desnouettes - 75015 Paris T. 01 48 56 15 36 日・月昼休み
3MyRが最近のクリエーションで、僕らを混乱させてから1週間が経つ。 今回のテーマは、ポール・ベール。 彼女らにとったら、容易いこと。 このレストランもやっぱり、彼女たちを興奮させた。 2人組アーティストが、セラミックやいたずら料理で驚異を表現するために、レストランは火曜日の午後閉店。 一枚目の写真には、まだ余裕を感じる。注文するだけで十分だろう。
Photo exclusive pour Simon-says par 3MyR, Christine Marquise et Merry Royer, 2007
パリのあるグルメ通りの情勢。 7区の美食家たちの奴隷となった、マラール通り。夜の8時半。 航空図で見ると、赤外線のカメラレンズが真っ赤に染まったに違いない。アフリオレやラミ・ジャンのオーブンが爆発しそうなくらい熱狂したわけだ。 最近オープンしたこのレストランは、ラグビーマンサイズの豚の背肉や、夏休みの合宿生全員を満腹にするくらいのアミューズ・ブッシュで、穏和だが、カロリックな狂気が溢れている。店を出る時の、疲れきって千鳥足になった自分を想像さえできる。それは常連でなくとも行われていることだ。 そのレストランの正面、8番地にも、控えめなレストランが新たにオープンした。 ブルターニュのにおいがするブルターニュ生まれの男、アンドレ・ルレッティが舵を握る。ゴブラン地区にあるラナクレオンという、控えめだけれどしっかりしたレストランを、彼が経営していたのをご存知な方もいるだろう。 何も付け加えることはない。 パリにレストランをもったら、とくに実行しなければならないことといったら、顔を表に出すこと、アタッシェ・ド・プレスを飛び回させること、客を無理矢理連れてくること、プレスの前でフラフープをまわすこと、他人の下の名前まで覚えていること、そして誰にでもビズをすることだろう。 でもその間、誰が厨房でスープをつくるんだ? 誰が生クリームをホイップするんだ? アンドレ・ルレティには、それが出来る。 だから、レストランには人影が疎らだった。 音声の高いアメリカ人のグループが一テーブル。そして、ワインの選択肢に困っている僕らに気を使う若いウェイターが一人だけだった。 突然、盲目な快感の中、僕のテーブルの一人があることを発言した。 「お婆を開けない?」 若い青年ウェイターは、拒否気味の態度を見せたから、このプロジェクトには何も残酷な要素はないということを説明しなければならなかった。 ただ、ローヌ地方グラムノン産のキュベ「Mémé(お婆)」という名のワインを意味していただけのことだった。 残りは、気前がよく、明瞭で、誠実でもあり、最後までやり遂げた感じの料理が完璧だった。 アンコウ、豚の頭のパンポル産そら豆添え、タラのフィレとりんどう風味のブイヨン、ねずとレモンでマリネしたサーディンのフィレ、等々。 ご存知のように、一晩に二組の客じゃ、パリでは惨めなレストランのジャンルに入る。月末にようやく借金を返せるくらいだ。 だから、この誠実なレストランに足を運ぼうという訳だ。 厨房で自分が愛する職業を貫く人間に、仕事の意味を与えよう。今晩、いきなり満席に予約を入れて、驚かせてやろうじゃないか。
L’Agassin 8, rue Malar - 75007 Paris T. 01 47 05 94 27 定休日:日・月 昼のコースが23ユーロ、アラカルトは34ユーロ
大空がやけに青かった。 まるで、武装した旅行客が、毎朝空を磨いているみたいだ。 耳障りなバイク。いらだった娘たちと心配性の男たち。 モンテ・カルロの高価なキッチュの山の中で、すでに聞き飽きたため信じなくなったメロディーをまた演奏する、時代遅れのオペレットのようなものを感じる。 街のけばけばしいウィンドーの前をぶらぶら歩き、付けまつげで高層ビルの隙間を楽しむという、本当の喜びがあるのだろう。 モンテ・カルロには、演じすぎたため必然的に感動し、おかしくてコミュニケーション豊かな生活がある。 まるでポップミュージックの世界だ。 この手の環境の中では、ためらうことはない。 選択肢は、歩道に佇まい無礼者が通るたびに舌を出すか、又は鏡を横切り王宮生活でのパーティーを楽しむかだ。 確かに、少々の浪費は覚悟のうちだが、そのラインを越えたら、人生がいくらかの氾濫を許可したということ。
オテル・ド・パリの場合。 ここは便利がいいし、モナコの中心でもある。また、先住民たちがアペリティフを頂く場所でもある。クリエーターたちはもちろんのこと、小金持や、ゴージャスな老人、見せかけの孤独人、そしてすこしの無名人たちが遭遇する。 もし入り口でテーブルを選ぶことになったら、レストラン、ルイ・キャンズの入り口が真正面に見えるだろう。 食べ物は模造品で、美食からは程遠いものと思ってしまうかもしれないが、サーモンで包まれたキャビアなんて、偽物によく似た本物だった。 頭を柔らかくしてみたら、なんて奇妙な話。世界中でかどうかはしらないが、ヨーロッパで一番いまいレストランの一つがここに健在する。 アラン・デゥカスの2番手、フランク・セルッティ(どっちが2番手かは謎だが)の料理は、しっかりした味付けと、マンマの味と善良さが加わった太陽を思い浮かばせ、リヴィエラの香りがするいいキュイジーヌ。
夕食の後には、公国がより寛大で穏やかに見えてくる。 もうすぐ深夜の鐘が鳴る。 決める前から、足はすぐ目の前にあるカジノへと向かっていた。
Le Louis XV - Hôtel de Paris place du Casino 98 000 Monaco T. +377 98 06 30 16
昔からあったような気もするが、サン・フィリップ・ドュ・ロールに、最近ワインバーがオープンした。 ラウンジな雰囲気、アーティスティックな壁の下絵、ゲンスブールみたいなにおいの漂う黒の色彩、気難しいレセプション、髪がよく整った近所の住人たち、8区独特のマッチョな世界。 イタリアを意識した配色は、入る店を間違えたんじゃないかとさえ思ってしまう。 愛想のいいウェイターは、彼の国の言葉を話し、そのミュージックが僕らをリラックスさせた。
続きを読む(仏語) Vinoteca, le Fléau du Timing/Figaroscope
サービス:勇敢。 ワインメニュー:よく舌を巻いた感じ。 行くべき?:もっといい店があるんじゃないか。 価格:この界隈の値段。つまり、出されるのものに対してかなり高め。
Vinoteca 32, rue de Courcelles – 75008 Paris T. 01 53 96 07 68
説明し合わなくても、ある種の出会いは繰り返し訪れる。秋のせいだろうか。跡に残る香水の香り。
時は夏の曲がり角だったが、ジャン=ポール・ゲランは働いていた。そして僕もフィガロマガジンの仕事だった。 彼はシャンゼリゼのメゾンにあるサロンの大きなソファーに腰掛けていた。 そして時が止まる。
続きを読む(仏語)Jean-Paul Guelain
またまた鶏肉 パリは交通機関のストライキ。方々でぶつぶつと不満の声。パトカーはウォンウォンとうなり、パリ北駅では救世主を待っている。 又一つ、物事を逆さまにとる良い機会だ。 鶏と一緒に恩恵の朝寝坊。 妙なことに、彼の家を覗き見しているみたいだ。 鶏にはなんでも許される。 ちょっといいと思ったら、だれでも家に誘ってしまって、やりたい放題。 家禽の機嫌は絶対に損ねちゃいけない。
ランスへは、パリからナント行きの電車に乗るのと同じくらいの時間がかかっていたのに、TGVが通った今では、ポルト・ドゥ・ヴェルサイユへ行くのと同じくらいの距離感覚になった。45分で、整頓されてはいるが人が言うほど静寂ではない、この綺麗な街に到着する。電気療法のマーケティングと強迫的な幸福感は、この街とこの街のワインが、静寂であった試しがなく、むしろ泡立ちが良かったことを思い出させる。
他の地方と比べてみても、ガストロノミーは常にいい位置にいた。 ボルドーのレストランにある従順さには欠けるが、大抵、現地のクリュでできた行儀の良さを感じる、軽い料理が頂ける。 最近では、ディディエ・エレナ(デュカス出身、ニューヨーク経験)がクレィエールへ到来したことで、先見的ではあったが、アシエット・シャンプノワーズのアルノー・ラルマンと共に、ガストロノミーのシーンにより拍車がかかってきた。
写真、コミュニケーション、料理界戦場への突進。 この2件のレストランの間に喧騒を起こすためというだけに、それ以上のことはすべきではなかった。今日、レストランは比較されない為に全力を尽くしている。 現実はしかし、簡単ではない。 片方が生々しいゲームに身を投げたとしよう。 札当てゲームみたいに誰にも気づかれないようにしながら、レストラン同士の料理をすり替えもできるんじゃないか。(例えば、フォアグラとマグロの一皿みたいに) シェフをしきりに減速させる不安とともに、時代が柔和な精神分裂症へとむかっているのは確かだ。
続きはこちらから(仏語)ランス 精神分裂症気味の快感