何もなじることはない。
星付きレストランは、至って経営が厳しい。
うまくいっているところでも、差し引きして、1〜2%の黒字がでればいい状況だ。星形の憲章を承ることに、匹敵する名誉はないという訳だ。ガラス食器、内装、ソムリエ、ワインセラー、素晴らしい素材、トリュフ、ヒラメ、ヴィンテージのポルトワインetc…
なぜ、このシステムの中に入った星付きのシェフの大多数が、普通の暮らしをするために、ほぼ選択肢なしに、いろんな仕事依頼を受け(プロモーション、ガラパーティー、デモンストレーション、本の出版、テレビ出演)、二号店、三号店をオープンさせる(敷地拡大や、ビストロ)かが理解できるだろう。もちろん、このシステムへ必ず入り込まなければならない訳ではない。多数のフランス人シェフは、自分の厨房で毎日迎える客へ喜びを与える為だけに、必死に仕事をしている。
多かれ少なかれ純粋な気持ちで、一握りのシェフは、志し高く「フランスの栄光」のタイトルを掲げて、ニューヨーク、ラスべガス、ロンドン、マカオ、上海、東京へと旅立つ。殻の中に閉じこもって、経費はかかるのに、時代遅れで古めかしい料理文化をもつイメージが強いフランスは、今では世界中に飛び回るようになった。
いいことだ。
しかし、現地で、必死になって働いている者がいる一方で、シャルル・トレネの「ドゥース・フランス」の鼻歌を歌いながら、何もしない者も実際にいることを、知っておかなければならない。
カーサ・ブルータスからの依頼で行った、匿名での10日間にわたる16件の星付きレストラン巡りでわかったことは、自分のカラーを持つレストランが、大抵成功しているということだ。 数あるアトリエをもつジョエル・ロブションと、ブノアとベージュをもつアラン・デゥカスは、いろんな食材を操りながら、忠実な仕事ができている。彼らは、実際に厨房にはいないが、現地にレストランを持つことだけに満足せず、決して安くはないが、店にはっきりとしたフランス料理のヴィジョンを持ち、シェフというより、レストラン経営者の才能を生かしている。
リスクが高いのは、ピエール・ガニェール、ミッシェル・ブラ、ハエベルラングループで、本店と同じ名前のレストランを開くことで、個性ある料理を提供できていない。この4人は、鞭で打たれ、本店に比べてほとんどひずみがない料理をきちんと提供できてはいる。特に、日本北部、北海道の札幌にあるミッシェル・ブラのレストランは、信じられないほど、本店の分身店できあがっている。
他のレストランは、危険な賭けをしていると言えよう。
シェフの名前をとってつけただけのレストラン(グランヴフールのギィ・マルタンは、大阪の「オーポン・デゥ・シエル」)や、ポール・ボキューズ(新しくできた国立新美術館)は、バンケットでサービスするようなうまくない料理(マルタン)や、まずいパンや食堂で食べるようなクレーム・ブリュレでもてなす平凡なブラッスリー(ボキューズ)で終わっている。
一方で、神戸のアラン・シャペルのように、時代と共に消えていくべきだったレストランもあった。シェフが毎日厨房にいないということだけでも容易な状況ではないのに、本人がこの世にいないとなると、更にたちが悪い。
料理は、生きたスポーツで、昔取った杵柄が店の長所になるようなことはない。
歴史のモラル。
自分の陣地で築き上げた歴史を背後に、厨房にシェフ本人が立つレストランに勝るレストランは存在しない。
それ以外は、マーケティングとビジネスだ。
ボキューズやポーセルなどを操る、日本のレストラン経営者のヒラマツは、料理界のマフィア。20世紀末によく見られた、表面的で冷笑的なものを感じる。
なんともかなり興味深い話だ。