時計の針が超特急で回る時代に、おちおちはしてられない。終わりなく桶の周りをぐるぐるまわっているくらいなら、思い切ってその中に飛び込んだ方がいい。
今年遭遇したくないものリスト。
ライ麦、そば粉、穀物・・・8種類以上あるパン
もういい加減やめたほうがいい。ずらりと並ぶ、8さらには12種もの置物的小さなパンの行列を誇るより、シンプルで新鮮でうまいパンを1つにしぼってとことん追求した方が断然いい。さらに痛々しい風景といったら、半分もしくは4分の3にカットされた丸パンが、買い主を待ちぼうけしている状況だ。
4桁のガストロノミー
気の狂った価格をつける高級レストランの時代はもうおしまい。内輪だけのグロテスクな高笑いはもう聞きたくない。前菜が60ユーロ以下といった、現実的価格に戻ろう。2009年に僕らが夢みるレストランは、1ヶ月分の食費予算を全部使い果たさずに2度は食べに行けるレストランだ。
ビーツのツラ
この勇敢な野菜をちょっとはそっとしておきたい。社員食堂のブッフェなんかに、静かに並んでいるそれだ。たしかに色はコスト兄弟風の紫色でトレンディーだけど、味はたいして興味深い食材ではない。
芸術家のデザート
故意にやっているとしか思えない。パティシエ達は、視聴率が上がることばかりを夢見ているが、料理をつくるシェフが客の10分の9以上の食欲をうばっていくものだから、彼らはいつも難しい立場に立たされている。そんなわけで、怪力男の仕事ぶりを、切手大のデザートの中に要約するしかないのだろう。その結果、キャラメル製のとげとげが表面から飛び出し、砂糖でできた線上のコルセットでくるまれた、頭でっかちで不可食なデザートを、僕らは頂くハメになる。
デザートの時間は免罪の時間であって、リズミカルな歩調をとった崇拝の時間ではない。
ミサのリズム
高級レストランに存在する儀式的事項の重要性は、わからないでもない。しかし前菜にたどり着くまで、延々と待たされるのはもうごめんだ。目の前に出されるものと真剣勝負できる関係がほしい。レストランは、やっぱりおなかがすいているから行くものだしね。
アミューズブッシュ
ごまかしの食べ物。高級レストランに行った場合、アミューズブッシュを頂いた後にもう席を立つべきかもしれない。ギャルソンへのチップはもちろん、このミニチュア料理の代金だってちゃんと払う。だからアミューズブッシュが終わったら、外へ飛びして大きな深呼吸をしよう。そのおかげで午後や夜に時間の余裕が出来るし、胃は軽くて心は平和、体だって調子いいはず。
客が人質になる名物料理
自己過信の強いレストランももういらない。永遠に料理が運ばれてくるのを待った上、料理の説明を聞く為に隣人との会話をやめなければならない。パリのホテル・ウェストミンスターのバーが懐かしい。
「マダム、お席の具合はいかがですか」
自然な親切。これこそがまずレストランに必要な要素だ。レストランはまず、客が気持ち過ごせる空間でなければならない。残念ながら、多くのレストランでは、精一杯の力が注がれているのは皿の上だけであることが多い。
エスプリのないワイン
間違いなく、これこそフランスのガストロノミー業界でも大きな厄介ごとの一つだ。いいビストロでの軽い武装をしたワインは別にして、レストランのメニューに並ぶワインの種類は、 値段の付け方が影響してか、かなり貧困なものになっている。たいていの場合、それらは無味で、開栓後に何の変化もなく、魂がない。フランスがワイン生産に貧しい国であるかのような幻想さえ抱かせる。ブルゴーニュにしたってボルドーにしたって、80ユーロ以上出さないと話にならない。もっとセクシーな価格で、びっくりするような発見のあるワインメニューがほしい。偽りのメニューはもういらない。
ミシュランが目覚める日は来るのだろうか。
これこそ、僕らが一番強く願っていることに違いない。本来、僕らのガイドブック「ミシュラン」は、基盤が強くて、ページをめくるごとに思わず頷いてしまうようなものであるはずだ。
しかし残酷にも、現実はそれから程多い。楽な方ばかりに気が散ってしまっているのを感じる。
今年はロースとフレションが昇格らしい。
ジョジアンヌ・カスパー Josiane Caspar が新しくミシュランのディレクターに着任した。彼女の登場で、サン・ジョアキムの「ラ・マール・オー・ズワゾー」やヴァンスの「シャトー・サン・マルタン」、キャップ・ダントーヴの「レデン・ロック」に星が与えられたら。更に、オンフルールのサカナには2つ星を、サン・ピー・スュール・ニヴェルの「ローベルジュ・バスク」やパリの「ポールベール」、「コントワール・ドゥ・ロデオン」には一つ星を。
しかし、今羅列したレストランにミシュランからの贈り物が本当に必要だろうかは謎だ。