午前9時ちょうど。
雌鹿みたいに内気な装いで自分の勇敢さに立ち向かっていた僕らは、見物だったに違いない。
料理を習いにいく。それもそこいらの料理教室ではない。地中海の高級料理、情熱をもったアマチュアレベルだ。僕らは新兵か、ちっぽけな小山羊か、ひよことでもいったところだった。
パリにオープンした、アラン・デュカスの新しい料理教室。その輝く厨房にシェフが現れた時、内心彼は吹き出していたに違いない。すぐに僕らの緊張をほぐしてくれた彼は、芽つみじみた朝食(焼いたブリオッシュとインスタントではないコーヒー)を食べながら、この後僕らが待ち受けていることを必死で書き留めさせた。
ズッキーニの花のファルシと、野菜のペーストをのせた子牛の肉料理、そのソースで加熱したジャガイモの僕ら風。
予約は一週間前に電話で行った。
すごく協調的な若い女の子が電話に出た。その親切さは、手術台にのった腑抜け野郎に精一杯の優しさでなぐさめる看護婦さんみたいだった。彼女は電話の相手がかなりビビっていることに気づいていたが、時間をかけながら本当の親切さをもって対応してくれたのだ。
きっと大丈夫だろう。後は予約した当日に現地へ向かうのみ。
僕らの緊張がほぐれたのは、アクションに移ったときだった。
始めはなんだか奇妙で、ステンレス器具に脅され、加熱台は電流で僕らをけなしているように見えた。
仕事台で僕らがやることは山ほどあったが、ロマン・コルビエールシェフは、僕らに自身を持たせることに長けていた。彼が僕らをなんと呼んだか、想像がつくだろうか?
「シェフ!」
カフェオレを作るのがやっとの僕らが、突然「シェフ」に任命され、自ずと将来のデュカシエットになるのは、おかしなもんだ。
僕ら生徒は4人だった。
執拗な風邪を治す秘訣をはなし始めた整骨医と、エプロン姿がぴったりの2人の婦人。
すぐに、袖をまくってスライサーを操り、ジャガイモをソテーし始めたところをみると、かなりの料理好きと見えた。一人はケベックから一週間のパリ旅行へ来ていた。この日の午後も、パティスリーの講座を受ける予定だと言う。もう一人は口数が少なかったが、成功率は高そうだった。たぶん、かなりの経験者だろう。
僕はと言ったら、八千回くらい試した鶏肉のロティーを除けば、ヨーグルトを開けることと、ワインボトルを空にすること以外に自負できることは何もなかった。かなり悲惨な話だが、僕の経験はぶっ壊れた800個のスフレとドイツ製の海底基地みたいに固いクイニーアマン、かちかちでくしゃみがでるティラミスくらいしかなかった。
しかし今回、ようやくこんな惨事に終わりを告げることができるかもしれない。
この料理教室で学ぶことは、まず整理整頓(ウィ、シェフ)そして清潔さ(ウィ、シェフ)そして注意力(ウィ、シェフ)。
魚みたいに口をあっぷあっぷさせる僕らの前で、ロマンは我慢強かった。
僕らの正気を保つために、「ダッコー?(わかった?)」をワンフレーズの中で2回は繰り返していた。
軌道に乗るまで、僕らは少々時間がかかった。
しかしそうこうしている間に、本番はやってきた。
完璧に円状のジャガイモに火を入れながら、すごいフォンドボーの準備にかかる。
ある種の料理を作る過程で通る信じられない下準備。子牛のあら、黒こしょう、玉ねぎ、バター、手羽先、犬の腹くらい柔らかいきれいなセージの葉っぱを1時間かけて煮込む。というのも、涙一滴くらいの茶色いソースをつくるため。
料理はたいていこうだ。ある場所からある場所に移るために、より長い路を選ぶ。しかしそれが大きな喜びとなる。自分だけじゃなく周囲の人のことも考えながら。
食べることは感じること。僕らの表情が、冗談好きな至福に満ちる要因だ。
11時7分。
セロリを薄くスライスしたいがために、厚さのレベルを調整した途端、まっさらなスライサーで親指を切ってしまった。みんなにばれないように裏手へ隠れたが、その間僕が担当していたジャガイモがこげついてきていることは、みんなが知っていたのはちょっとはずかしかった。
即時、シェフがむちゃくちゃ熱いジャガイモをつかんでフライパンのなかに投げ入れて処理してくれたからいいものの。
そんなわけで、僕は子牛の加熱担当にまわされた。
「ほら見て」シェフは続けた。「ゴムベラの動きに合わせながら、肉の上にゆびをあてて・・・」
ただものではない指を持つこの快男児が言うのは簡単だ。
しかし僕の指は皆さんと同様、やさしくて柔らかいソーセージ。だからかなり熱くてやけどしてしまった。
それにもかかわらず、無言で黙々と作業が続く。僕の嘆願の目は、スプーン一杯のワサビを飲み込んだときの目に似ていただろう。
1時に僕らはテーブルについた。
僕らがつくったズッキーニのファルシは本当に素晴らしかった。
それを口にしたときの歓喜。ズッキーニのスライスは、各自のデジタル指紋をみているようだった。
接骨医がドライヤーをつかって口内炎をどうやって処理するかを、興味津々の2人の婦人に説明している間、小さなキューブ状になった野菜の帽子をかぶったすごい子牛の肉料理にうつった。
この料理教室をあとにしたとき、自分に才能があるのではないかという幻想を抱いてしまう。
味付け、切り方、まわし方、打ち方等、動きの陶酔を発見するために、テクニックのカーテンを開けた時、料理はまるで仙女のように見えてくる。
今まで見ない振りをしてきた景色が目にはいってきたら、それこそ長旅のはじまりだ。料理することは、与えることである。
また一つ勉強になった。接骨医のドライヤーみたいにね。
École de cuisine Alain Ducasse
64, rue du Ranelagh - 75016 Paris
T. 01 44 90 91 00
www.ecolecuisine-alainducasse.com
4時間半の料理コースと朝食、昼食がついて205ユーロ