近日、いろんなソースを使って、ディスコが流行った年代の話題が取り上げられている。
料理界のディスコイヤーズは、ゴエ・ミヨーの時代だった。
料理が、クリームたっぷりのソースや、アミドンがあふれるパイ生地、教会の高位聖職者ごとくソムリエがワインを注ぐサービスから、飛び出した時代。
そこで、ちょっと気の狂った新しい風が、料理をよりグルメなものにして、誰にでも手が届くレストランが誕生した。
忘れてはならないのは、いつものことだけれど、そこにも2タイプ存在したということだ。
まず上部に位置したが、年々頭角を現すことになる、ファンタスティックな才能が発揮された高級レストランのカテゴリー。
1975年には、ヴィヴァロワのペイロー Peyraud、ヴァランスのピック Pic、ミオネーのシャペル Chapel、パリのタイユヴァン Taillevantが3つ星を獲得している。
そして次に、毎日通えるようなレストランのカテゴリー。
クラブへ踊りに行く前に、人々は路地裏のちんけなレストランで、食事をとったものだ。オーナーにビズが欠かせなかった時代。パッチワークのソファーが印象的な、チェスターフィールドパブみたいな雰囲気の中で、セックスのレボリューションは、この辺りから始まったに違いない。
食べ物たちは、このカテゴリーに仲間入りできたことがうれしくて、文句さえたらさず、次のステップで、男達が思い通りのテストステロンを発揮するために必要なエネルギー補給の手伝いを、必死で行っていた。
ソースがたっぷりかかったさまざまな肉料理、キャヴィアの代用として圧勝したスモークサーモン、蒸し料理法等で調理されたすごいサラダには、リッツ風のグラマーなセミキュイのフォアグラが添えられ、ローズペッパーも日の目を見た。
レストランは、ディスコのミラーボールごとく、客が家にかえってもその印象が消えないように仕掛けるようになった。
赤いほお紅をたっぷりつけた店の女オーナーは、グレープフルーツのロティー、今までに見たことのない熱い牡蠣料理等、宴会飯の起源、つまりエンターテイメント性にとんだ料理で、客を圧倒させた。
常連客をつくり、その懐を暖かく保つためには、レストラン自身が、もっとセクシーで、粋で、おかしく、気まぐれで、うるさくあらねばならないことを把握した時代だった。
そして30年後の今、その教訓がうまく受け告げられきたように、僕は感じる。